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[debian-devel:04122] Tokyo Linux Fair 0.5
- From: hattas@xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
- Subject: [debian-devel:04122] Tokyo Linux Fair 0.5
- Date: Mon, 22 Jun 1998 20:00:57 +0900
- X-dispatcher: imput version 980506
- X-ml-info: If you have a question, send a mail with the body "# help" (without quotes) to the address debian-devel-ctl@debian.or.jp
- X-ml-name: debian-devel
- X-mlserver: fml [fml 2.1A#45]; post only from members
- Message-id: <19980622200053D.hattas@xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx>
- X-mail-count: 04122
- X-mailer: Mew version 1.93b33 on Emacs 20.2 / Mule 3.0 (MOMIJINOGA)
八田です。見にくくてごめんなさい。
6月18日晴れ。
12:00 ちょうど、東京駅着。京都から一緒に来た友人と、東京で働いている友
人の3人で昼食。昼食後、乗車券を紛失していることが発覚したが、駅員に平
謝りして改札を出る。東京駅で友人2人とわかれ別行動開始。彼等は本屋を、
私は東京電機大学を目指す。
13:20ごろ会場に着く。熱気がこもって蒸し暑いほどだった。
会場には、田中(ま)さん、北目さん、樽石さんがいた。Debian JP のブースは
2m 弱の幅のテーブル。デモ会場の最も奥、つきあたりにあった。すでに北目
さんは持ち込みの ThinkPad でハックに励んでいる様子。 ブースのテーブル
の前で一生懸命 Debian の説明をしている人がいる。すごい。パワフル。訊か
れる質問に立板に水でまくしたてる。質問する方が躊躇しかねない調子なのだ
がこのときの質問者は負けてない。丁々発止のやりとりが続く。説明していた
のはむつみさんだと後でわかる。この元気さがないと X のメンテナはやって
いけないのかもしれない。
しばらくすると、大沢さん、鴨志田さん、鵜飼さん、前原さんが食事から帰っ
てくる。鵜飼さんに写真を取られる。(www.linux.or.jp/~ukai/tlf0.5/ に私
も含めて Debian JP の参加者の写真があります。でも、このページには鵜飼
さんの写真だけない。バグかしら(^^と言ってみる)
皆さんに挨拶を一通り済ませると、金髪の日本人がフラっと歩いてきた。越生
さんだ。ここぞとばかりに越生さんの著書にサインをしていただく。非常にい
やがられたのだが、サインはしていただけた。ついでに、鵜飼さんにも
Software Design のバックナンバーにサインしていただく。さすがにミーハー
の度が過ぎたようで、皆の視線が痛い。
TLUG の Oda(多分、これで合ってるはず)さんが現われる。Debian/Debian JP
について熱心に質問される。Oda さんだけではなく全体に、 Debian JP
の存在意義って何か、何を目標としているのかが他のディストリビューション
ユーザに(もしかしたら Debian ユーザにも)伝わっていないような感蝕があっ
た。Debian JP はもう一つのディストリビューションを目指しているんじゃな
いのか、とか、日本語を扱うために Debian とは別に Debian JP のバッケー
ジが必要じゃないのか(bo ベースではまあ真だけど)、と思われている節があっ
た。JRPM、PJE と合流しないのは何故などの質問もあった(ような気がする)。
その他会場で見かけた私が名前を知っている Debian JP 以外の有名人は、ク
リフさん(PHT の方。Applixware のインストーラを是非作らせて/作って下さ
いとお話ししてました。鴨志田さん作ることになりました?)、よしだともこさ
ん(アンケートに答えていただきました)、佐渡さん、中村正三郎さん(見かけ
たのは昔ソフトヴィジョンに面接に行って以来だったのですが、残念ながら
Debian JP のブースにはいらっしゃいませんでした)。
鵜飼さんは随時チャットで実況を中継していた。
Fair のメイン企画パネルディスカッションが始まると急にデモ会場から人が
引いていく。デモ会場のほうでは、ほとんどの客は遠目にデモを眺めているだ
け。たまにチラシを取っていく。そんななか、経済学を専攻してると覚しき方
からオープンソフトウェアという形態の経済学的な位置付けに興味があるんで
すが... とか大学の教育でLinux を導入しようと考えているが、学生の自宅に
も教室と同じ環境を作るのを奨励しようとするとフリーソフトウェアを選択す
るのがベストだと考えている、ついてはDebianをと思っているがソースコード
をどう扱えばよいかわからないのだが... といった質問が心に残る。パネルディ
スカッションの間、30分ごとにその状況を鵜飼さんに話しにくる人がいたのだ
が、名刺を交換して初めて、その方こそ羽根さんだということがわかる。
小島基靖さんが見え、挨拶をする。
暇になった樽石さんはデモマシンのカーネルの再構築を始める。北目さんのマ
シンのWindowMaker (だよね?)をリモートで利用しようとしてしばし遊んでい
た。
このあと髭がトレードマークの柴田さんと Debian 談議。なぜ Debian を使っ
ているのかという質問には、やはりパッケージ管理がしっかりしているから、
とかどこに何があるかが把握できてる安心感があるから、などの答が Debian
JP のメンバから出され柴田さんを洗脳しようとする。成功したかどうかは時
間が教えてくれるだろう。ちなみにこのときの会話ではないが、ユーザがディ
ストリビューション作成に影響を与えうる/参加できる点も Debian の魅力の
一つとしてあげたメンバも。私は、Linux 左派を目指しているので、どこまで
いってもフリーである点に惹かれてることを白状しとこう。
柴田さんをlilo(関西のLinuxUser が集まってゴニョごにょするイベント、次
回は今月27日だったと思う)へお誘いしてみたが、お仕事が忙しいそうで次の
機会にということに。ま、私も行けないんですが、今度のliloは。
やがて、撤収の時間となり、プレゼントの抽選を行なうも私はどれにもあたら
ず。むつみさんの作ったプレゼントの方の時計は、失敗作というむつみさんの
言葉のわりには悪くデザインで皆の羨望の的だった。
企画がすべて終了し、懇親会へ。
このとき、ようやく松永先生を識別できた。
LJ#4 とその CD が大量にあまり、懇親会でのプレゼントに回そうということ
になったが、懇親会に参加してる方々がLJ#4 を持ってないとは思えないので、
松田先生に寄贈することに。懇親会では再び TLUG の Oda さんと Debian に
ついてひとしきり議論。またいくつかの出版社の方ともご挨拶。個人的には、
Laser 5 の乾さんに挨拶できたのも収穫。
18:00 に懇親会はお開き。ここで、日本がクロアチアに負けるのを六本木で見
るために一人離脱。他のメンバは、新宿での二次会のために移動開始。二次会
は豪華なメンバが参加していて壮観。私は鵜飼さんと松永先生にはさまれて食
事を楽しむ。
大沢さん(を学生と間違えた。失礼しました)が23歳と聞いて愕然。だが甘かっ
た。樽石・北目両人の歳を聞いて、気が遠くなる。
同席のインターネット冷蔵庫でおなじみの会社の方(だと思う)が Linux のた
めの「Think differrence」みたいなカッコいいコピーが欲しいよね、との話
を受けて鵜飼さんが Linux には自由がある、と提案。不遜にも私は「そうか?」
と言ってしまった。Red Hat の XBF とかを考えて「そうか?」と言ったのだけ
ど、考えなおせば、だからこそ「自由だ」というの意味があると思うようになっ
た。
TLUG のウェブマスタとしばし歓談。スイスの方。S.u.S.E.ユーザを初めて見
た。
松永先生が凶悪なソフトウェア(謎)を購入していたことが判明。
21:00 過ぎに静岡組、退散。
21:30 に一本締めで終了。直後に Plamo の CD-R を見せてもらう。
このあと何か行なわれたかもしれないが、私は友人と新宿駅で待ち合わせてい
たため、皆と別れた。
ホテルでクロアチアに負けるのを見る。
当日スタッフの方どうもお世話になりました。おかげで楽しく、刺激的に過せ
ました。
# 次の日は、秋葉原でマザーボードと CPU を買う。本屋をあさり、お台場で
# 自由の女神像を見て帰る(最後までミーハー根性爆裂)
// 日本インターシステムズ(株) 共通システム部 八田修三
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