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[debian-devel:14975] (Raphael Hertzog) Re: Platform for DPL election (part 1)
佐野@浜松です。
DPL 候補者の1人である Raphael Hertzog {ラファエル・ヘルツォグ} さんが
debian-vote@lists.debian.org ML に流した platform (選挙の公約)です。
長いので、とりあえず途中まで訳したものを part 1 として流します。
In <20020303205746.GA12989@xxxxxxxxx>,
on "Sun, 3 Mar 2002 21:57:46 +0100",
with "Platform for DPL election",
Raphael Hertzog <hertzog@debian.org> さん wrote:
> Hi everybody,
みなさん、こんにちは
> the platforms of the candidates have been published on the web :
> http://www.debian.org/vote/2002/vote_0001
DPL 選挙の候補者による選挙公約は既に Web 経由で公開されています:
http://www.debian.org/vote/2002/vote_0001
> You'll find mine here :
> http://www.debian.org/vote/2002/platforms/raphael
私のは以下のリンク先にあります:
http://www.debian.org/vote/2002/platforms/raphael
> Here's a "lynx -dump" transcription for those who don't want to launch
> their web browser. :-)
以下は、この Web ページを "lynx -dump" によりテキストへ
変換した結果です。わざわざウェブブラウザを起動しようと
思わない人達はこちらをどうぞ :-)
> Raphael Hertzog's platform for Debian Project Leader -- 2002
Debian プロジェクトリーダー選挙 2002 に向けた
Raphael Hertzog による公約
> _________________________________________________________________
>
> Presentation
自己紹介
> My name is Raphael Hertzog. I'm known as buxy on IRC. I'm a 23 year
> old french student. The school where I study is called "[1]INSA de
> Lyon" and I'm part of the [2]computer science department. I'll have my
> engineer degree this summer after which I'll be looking for a job
> related to free software (which hopefully will leave me much time for
> Debian work).
私の名前はラファエル・ヘルツォグです。IRC では "buxy" (バクシー) として
通っています。私は 23才で、フランスの学生です。私の在学している学校は
"[1] INSA de Lyon" (リヨン大学 ?) で、[2] コンピュータ科学を専攻しています。
私はこの夏に技術者の資格 (? engineer degree) を取得し、それから
フリーソフトウェアに関連した仕事 (できれば Debian のために作業できる
時間をたくさん確保できるような) を探すつもりです。
> History within Debian
Debian 参加後の経歴
> My first contact with Linux was with Debian 1.3. It dates back to
> 1997. I first tried Debian because someone told me it had perl
> installed by default and because I had discovered perl on Windows a
> few months before and had thought that it was really cool. However I
> quickly erased my Debian partition in order to try other distributions
> (RedHat mainly). I came back to Debian a few months later for two main
> reasons: it was used by the most competent people I knew within my
> LUG, and I understood that it was the only distribution where I could
> actually help and get involved.
最初に触れた Linux は Debian 1.3 でした。1997 年のことです。
私が Debian を試したもともとの理由は、perl が標準でインストール
されていると誰かに聞いたからで、その数ヶ月前から私は Windows 上で
perl を使い始めており、それがとても気に入っていました。
しかしその時 Debian をインストールしたパーティションは、他の
ディストリビューション (主に RedHat) を試すためにその後すぐ
消去してしまいました。
私が Debian に戻ってきたのはそれから 2, 3 ヶ月後で、それには
2 つの大きな理由がありました。
ひとつは、当時参加していた LUG (Linux ユーザグループ) の中で
私の知っていた有能な人々はほとんどDebian を使っていたからですし、
またもうひとつは、私自身が実際に活動に参加して作成を手伝うことの
できる唯一のディストリビューションであることがわかったからでした。
> In 1998, I joined Debian as a developer and started with a single
> package called "[3]sympa". It wasn't even DFSG free (it had a clause
> against commercial use) however the license has been corrected after
> discussion with the upstream authors.
私は 1998 年に Debian へ開発者として参加し、"[3]sympa" という
ひとつのパッケージから作業を始めました。当時このソフトウェアは
DFSG 互換でさえありませんでしたが (商業利用禁止条項の存在)、
その後、上流開発者と意見交換を重ねた末、ライセンスは修正されました。
> I quickly got interested by the Debian Quality Assurance work which
> was still managed by Vincent Renardias. He initiated me to it. I
> started to look for packages that I could work on with my perl skills,
> and I found [4]dpkg-ftp (the ftp method of dselect). I took it over
> since it was in a really bad shape and fixed all known bugs including
> the wishlist ones.
すぐに私は、当時ビンセント・ルナルディアス Vincent Renardias によって
運営されていた Debian 品質向上作業に興味を持つようになりました。
彼は私にその作業についていろいろ教えてくれました。それから私は
自分の perl に関する技術を活かせるパッケージを探し始め、
そして [4]dpkg-ftp (dselect の ftp メソッド) を見つけました。
当時それはまったくひどい状態だったので、メンテナンスを引き継ぎ、
wishlist も含めた既知のバグをすべて修正しました。
> In 1999, the debian-cd team had a problem because the script was not
> really designed to manage multiple CDs and slink was the first Debian
> version which needed more than a single CD. That's why I wrote YACS
> (Yet Another Cd Script) (however I used parts of the slink_cd code
> from Steve McIntyre) which became the official debian-cd for the
> potato release. It featured a better design able to handle efficiently
> multiple CDs and custom CDs (you can easily customize the content of
> the CDs). I'm still the maintainer of debian-cd.
1999 年のこと、debian-cd チームは問題を抱えていました。
CD 作成のために使われていたスクリプトは、複数の CD を扱うために
本格的に開発されたものではありませんでしたし、slink は単独の CD に
収まりきらない最初の Debian バージョンでした。
この問題を解決するため、私は YACS (Yet Another Cd Script) を
開発しました (ただし、Steve McIntyre の書いた slink_cd の
コードを一部利用しています)。そして potato リリースの際には
これが公式な debian-cd スクリプトとして採用されました。
これは複数の CD やカスタマイズされた CD を扱うための
より洗練されたデザインを備えていました (これによって CD の
中身を簡単にカスタマイズできます)。私は今でも debian-cd の
メンテナーです。
> Also in 1999, we had big troubles with the new maintainer team. It
> closed the doors for various reasons. I didn't agree with that
> decision. That's why I launched the [5]sponsorship mechanism. The
> principle is simple: each prospective maintainer has to find an
> official Debian developer who will check his work and who will upload
> his package into Debian. Of course, the Debian developer shares his
> remarks about the package with the prospective maintainer so that he
> can learn from it. And because of that the sponsorship system survived
> even after the reopening of the new maintainer door. It appeared to be
> a great tool to train the future developers and to make sure that they
> share our principles (Social Contract, DFSG).
また同じく 1999 年には、New Maintainer チームに関する
大きな問題が Debian の内部に発生していました。
当時のチームはさまざまな理由から、(一時的に) 門を
閉ざしていました。私はこの決定には賛同できませんでした。
このため、私は [5]スポンサー制度 を始めました。
趣旨は単純です。新しくメンテナーになろうとする人
(メンテナ候補) は自分の作業をチェックして自分の代りに
Debian へパッケージをアップロードしてくれる
オフィシャル Debian 開発者を見つける必要があります。
もちろん、スポンサーとなる Debian 開発者が、作成された
パッケージについての意見を伝えることで、実際に作業を
行なっているメンテナ候補も必要な知識などについて
いろいろと学ぶことができます。
この理由から、スポンサー制度は New Maintainer 受付の
扉が再開された後になってもずっと継続されています。
この制度は、将来の開発者を訓練し、我々の原則 (社会契約、DFSG) を
確実に共有できるようにするための良い方法であるということが
わかってきたのです。
> Still in 1999 (I didn't remember that I did so many things in the same
> year ! :-)), I helped Darren Stalder to make perl-5.005 ready and I
> managed the whole perl migration (all binary modules had to be
> recompiled, I contacted everyone who was concerned and I NMUed
> packages which had not been updated in time). At the same time I wrote
> the first version of the [6]perl policy.
さらに同じ年、1999 年のことですが (この年の間にそんなにも
たくさんのことをしてきたなんて、自分でも忘れていたっけ :-)
私は Darren Stalder が perl-5.005 を準備するのを手伝って、
perl 移行作業全体を運営しました (すべてのバイナリモジュールを
コンパイルし直さなければなりませんでしたから、私は関係する
すべての人に連絡を取り、間に合うように更新されなかった
パッケージについては NMU を行いました)。
これと同時に私は最初の [6]perl ポリシー を書きました。
> After that, I worked to resurrect Debian QA. I launched
> [7]qa.debian.org (it still exists but the content has been completely
> updated since then by the good work of several other QA workers like
> Josip Rodin and Martin Michlmayr) and I created the QA committee. The
> committee doesn't exist anymore because it didn't work. It was a try
> to "organize" QA with a team deciding what has to be done and with
> workers who do the real work. My interpretation of this failure is
> that it was too centralized for Debian and that it didn't match
> Debian's way of doing, and thus it failed.
その後、私は Debian QA を復興させるために作業しました。
私は [7]qa.debian.org を立ち上げ (このサイトは今でも存在して
いますが、その内容は Josip Rodin や Martin Michlmayr などの
他の数人の QA 作業者による優れた作業の結果、全面的に更新
されています) QA 委員会を組織しました。この委員会はうまく
機能しなかったので、もはや存在していません。これは、
「解決すべき問題」を決めるチームと、実際の作業を行う人々に
よって、QA 作業を「組織化」しようという試みでした。
この失敗についての私の解釈は、Debian の中ではあまりに
中央集権化された方法だった、ということです。これは
Debian の流儀に合いませんでした。だから失敗したのです。
> Nowadays, I'm convinced that to keep up with the tremendous work and
> to keep its high quality, Debian has to adapt itself to prevent
> problems (packages badly maintained, packages forgotten and not
> orphaned, ...) from happening. That's why I launched the [8]Package
> Tracking System with the help from Anthony Towns. The main idea behind
> the PTS is that we should have more people taking care of each
> package. Taking care can mean several things from helping the
> maintainer (for another developer) to just watching that the package
> is well maintained (for an advanced user that cares about that
> particular package).
今日行なわれている非常に多くの作業を維持していくために、
また高い品質を維持していくために、(きちんと保守されて
いないパッケージや、オーファンもされずに忘れられたまま
となっているパッケージなど) さまざまな問題が発生するのを
防ぐことができるよう、Debian を自分たち自身で適応させて
いかなければいけません。私は現在そう確信しています。
このために、私は Anthony Towns からの助けを借りて、
[8]パッケージ追跡システム (PTS) を立ち上げました。
この PTS の背景にある主なアイデアは、それぞれの
パッケージについて、その世話をしてくれる人々を
より多く確保すべきということです。「世話をする」と
いうのは、(開発者同士で) メンテナーの手伝いをする
ことから、(特定のパッケージに関心を持つ利用者が)
単にパッケージがきちんと保守されているかどうか
チェックすることまで、いろいろな意味を持ちます。
> And during all the time, I followed many mailing lists and
> participated in dozens of discussions (and flames, even if I tend to
> skip them since you usually just loose time with them). I also
> sponsored many future maintainers and participated in several bug
> squashing parties. And of course, I did my usual maintainer work: I'm
> maintaining 5 perl modules, dpkg-ftp, debian-cd and logidee-tools.
これらすべての活動の合間に、私は多くのメーリングリストでの
話を追いかけ、数多くの議論に (時にはフレームにも。時間の
浪費だからなるべく避けようとはしていますが) 参加しました。
また多くのメンテナ候補をスポンサーし、バグ潰しパーティにも
何度も参加しています。そしてもちろん、メンテナーとしての
通常の作業も行なっています。私は現在、perl のモジュール 5 つ、
dpkg-ftp、debian-cd および logidee-tools のメンテナンスを
担当しています。
> With all this experience I believe to be quite familiar with Debian
> and its way of working. I have been in contact with many people
> involved in all the key aspects concerning Debian (boot-floppies,
> ftpmasters, release manager, BTS maintainers, security team, QA team,
> debian-www team, debian-admin, porters and buildd maintainers ...).
これらすべての経験を通じて、私は Debian とその流儀にとても
馴染んでいるものと信じています。私は Debian にとって重要な
作業に関連している多くの人々を知っています。(boot-floppies、
ftpmasters、release manager、BTS メンテナ、セキュリティ
チーム、QA チーム、debian-www チーム、debian-admin、ポート
作業者と buildd メンテナ、...)
>
> References
>
> 1. http://www.insa-lyon.fr/
> 2. http://www.if.insa-lyon.fr/if/
> 3. http://packages.debian.org/sympa
> 4. http://packages.debian.org/dpkg-ftp
> 5. http://lists.debian.org/debian-devel/1999/debian-devel-199907/msg01530.html
> 6. http://www.debian.org/doc/packaging-manuals/perl-policy/
> 7. http://qa.debian.org/
> 8. http://lists.debian.org/debian-devel-announce/2002/debian-devel-announce-200201/msg00011.html
> --
> Raphael Hertzog -+- http://strasbourg.linuxfr.org/~raphael/
> Formation Linux et logiciel libre : http://www.logidee.com
(とりあえず、ここまで)