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Fw: Copyleft (wad Re: Translation Project and copyright disclaimer)



八田(ま)です。

先日飯田さんから返事がありました。一応こちらに流しておきます。
--- Begin Message ---
  こんにちは。返信いただきどうもありがとうございました。

  この問題は、誤解されやすいので、もっとていねいに書いておく
べきだったかもしれません。

  このメールは非常に長いですが、よろしくお付き合いください。



  以下、もし文字の変更をしないのであれば、自由に配布してもか
まいません。文字をそのままにしてコード変換をするのはかまいま
せん。文字を変更した物件の配布はしないでください。

  お書きになった文書をGPLを適用なさっていたそうですが、実は
私自身も昔はそういうことをしたことがありました。そのすぐ後、
とある人から指摘をうけ、意見を交換しながら考えていくうちに、
それまでの自分の理解のうちの誤っていたところと、正しいところ
が、はっきりしてきました。

  前のメールにも書いたように、私はGNU Emacs Lisp Reference
Manualの訳本の訳者スタッフのひとりなのですが、そのときに私の
担当した翻訳個所のひとつが、表紙の裏の許可告知でした。また私
は、この本の日本での出版社の社長の川内氏と友人でもあったため、
渉外担当のような役もしました。そのときにFSFのスタッフと直接
会って話をしたり、RMSとメールのやりとりをしたりもしました。
許可告知に関する私の考えは、自分でそれを翻訳し、RMSとやりと
りをするうちに、より深まり、強固なものとなりました。

  さて、その許可告知ですが、作者が、読者や利用者のために書く
ものです。フリーな文書やフリー・ソフトウェアの場合は、作者の
厚意によって、読者や利用者のしてもよいことが書かれるわけです。
ですから、ある(ソフトウェアでなくて)文書の作者がもしどうして
もそうしたければ、自分の文書を保護する手段の最終的な決定権利
をもっているわけなので、GPLで保護することも可能ではあります。
ブルース・ペレンスが彼の書いた文書をGPLで保護しているのは、
まさにご指摘のとおりですし、ESRの書いた文書でそうなっている
ものもあります。彼らの場合、知っていてあえてやっているような
節がうかがえますが、私は彼らとはやりとりをしたことがないので、
その真意は知りません。

  では、私の前の主張は何だったのかというと、文書をGPLで保護
することは可能ではあるけれども、それはGPLの目的ではない、と
いうことです。たとえていうならば、万年筆のキャップで水をくむ
ことは可能ではあるけれども、私なら水をくむときは普通、コップ
か何かを使い、おそらく万年筆のキャップは使いません。なぜか。
それは、万年筆のキャップの目的は水をくむためではないので、水
をくむには不便だからです。

  GPLの目的は何でしょうか。それはGPLの冒頭に書いてあります。
つまり、「フリー・ソフトウェアを共有したり変更する自由をユー
ザに保証する」ことです。ソフトウェアは読むためだけでなく、実
行して使うためのものでもあること、ソフトウェアは文書と違って、
ソースとオブジェクトの両方があること、こういったことは当然、
ご存じと思いますが、GPLはこれを踏まえた上で、長々と書かれて
います。

  その一方で、FSFの出版しているマニュアルの典型的な許可告知
は、何を目的にして、どう書かれているでしょうか。FSFの出版し
ているマニュアルでは、コピーレフトの精神にのっとり、マニュア
ルを共有したり変更したりする自由を読者に保証しています。マニュ
アルはプログラミング言語でではなく、人の読む言語で書かれてい
ること、したがって外国語に翻訳されうること、配布されて読まれ
るためには、画面に表示したりするだけでなく、紙に印刷される場
合も多々あること、典型的な許可告知はこういったことを踏まえた
上で、GPLに比べれば、簡潔に書かれています。

  GPLには外国語に翻訳する場合の規定はありません。GPLで保護さ
れたフリー・ソフトウェアを紙に印刷し、それ「だけ」を配布する
ことは、GPLがあからさまに禁止さえされています。それはなぜか。
フリー・ソフトウェアを外国語に翻訳する、ということが、普通で
なかったり、フリー・ソフトウェアを「配布するために」紙でだけ
渡すことが利用者にあたえる自由を制限してしまうからです。引用
のために、ソフトウェアの一部を印刷しそれだけを渡す場合もあり
えますが、それはあくまでも引用で、引用はGPLの管轄範囲外です。

  利用者にあたえる自由をGPLより制限したソフトウェアでは、GPL
よりも簡潔な許可告知で済む場合もあるでしょう。実際TeXの許可告
知もそうですし、また``All rights reserved.''などというのもそ
うです。その正反対に、「何をしてもOK」とか、``It is in public
domain.''と利用者に無制限な自由をいう場合とかも、簡潔な許可
告知ですみます。

  GPLもFSFの出版しているマニュアルの典型的な許可告知も、かな
り練られた上で作られています。それは利用者から自由をとりあげ
るのでもなく、無制限な自由をあたえるのでもなく、自由をあたえ
つつしかも共有を促進もさせる、という微妙なバランスを保つため
です。

  ここまでのところで、マニュアルの許可告知とGPLを比較してき
ましたが、フリー・ソフトウェアにまつわる文書は、マニュアルだ
けではありません。たとえば、``GNU Manifesto''はどうでしょう
か。GNU Manifestoは、修正版の作成を禁じています。これはなぜ
か。マニュアルとは違い、GNU Manifestoの修正版が出回ってしまっ
ては作者のリチャード・ストールマンの意図がねじ曲がって伝わる
恐れが出ますが、それでは困るからです。前のメールにも書きまし
たが、GPLもそうです。GPLを修正されてはかないません。

  ある文書の許可告知は、その文書の受け手にその文書の作者があ
たえたい自由をあたえ、かけたい制限をかけるものであるはずです。
そうでなければ、あたえたくない自由をあたえたり、かけたくない
制限をかけてしまうことになります。特に前者の場合、つまり、あ
たえたくない自由をあたえることによって困るのは作者自身である
ことがほとんどでしょう。文書の許可告知は、その文書のもつ性格
によって違っていても、それはごく自然なことなのです。

  それと同様に、理想的には、辞書データを保護するための許可告
知や、数値データを保護するための許可告知がGPLと別にあっても、
それは何ら不思議なことではありません。たとえば、辞書データは、
印刷して(あるいは印刷せずに、ソフトウェアで)引くことができた
り、印刷したものだけを配布することにもそれなりの有用性があっ
たりする特殊なプログラム(あるいは特殊な文書)であるといえます。
GPLはその名のとおり一般的なので、特殊なプログラムにも、特殊
でないプログラムにも適用することができますし、実際そうされて
います。プログラムのもつ特殊さのために、GPLでは不十分なこと
もありえることです。実際、LGPLは初め(最近はちょっと違ってき
てるようですが)、フリーなライブラリーのソースを保護し、しか
もその利用も促進させよう、ということでGPLから派生したライセ
ンスです。

  GPLにある``other work''という用語についてですが、私として
は``program''実行可能な形式にするための情報を含んだMakefile
や、たとえばunits.datのような実行直後に読み込まれるスクリプ
トに適用させるためのことばだと考えています。既に書いたように、
``other work''に文書を含めるのはその人の自由ですが、FSFの配
布している大抵の文書がそうなっていないでちゃんと別の許可告知
が設定されています。

  実際、あるビットの組合せがプログラムなのか、データなのかは、
それを解釈する方法にかかっています。Cのコンパイラは、hello.c
をプログラムとして解釈するかもしれませんが、GNU Emacsはテキ
ストとして解釈するでしょう。熟練したTeXやPerlのプログラマな
ら、英語の詩としても、プログラムとしても解釈の可能な英文字の
しかもそれなりに長い列をひねり出すことができるかもしれません。
短くてよければ、``exit''という4文字がプログラムか、そうでな
いのかが、前後関係に依存することであるのは、明らかでしょう。

  もし私が、自分の書いた文書をGNUプロジェクトの精神にのっと
り、まるでGPLで保護されたプログラムであるかのような権利を文
書の受け手にあたえたいときに、それをどうしても簡潔に表現する
必要があるならば、「この文書にはGPLを適用します」とはせずに、
「この文書にはコピーレフトで保護します」と書くでしょう。コピー
レフトという造語は、GPLやFSF発行のマニュアルの許可告知を含ん
だ広い考え方をさしているからです。コピーレフトは厳密に定義さ
れた用語ではないし、数段落のスペースがあれば許可告知を書くこ
とができるので、多分コピーレフトと曖昧にせずに、許可告知を書
くだろうと思います。

  私が一度見たことのあるの面白い例は、「GNU button」という金
属バッヂのようなもので、確かこれにはでかでかとGNUの3文字が大
書されており、さらに「このボタンはGPLで保護されています」み
たいな意味の英語の文章が書いてありました。これは各種コンファ
レンスで配られたり売られたりしたもので、冗談半分ではないかと
思います。実際、RMS自身、財布の中に0ドル札を持ち歩いているよ
うな茶目っ気の持ち主ですし。

  私の主張したかったことを以下まとめて書きます。
・作者は、自分の著作にGPLを適用するかしないかを、決める権利
をもっている --- その著作がプログラムであれ、文書であれ
・GPLは、主にフリーなプログラムを保護するために作られた
・プログラムと文書は違う性格をもっているので、文書には(GPLで
なく)その文書なりの許可告知がついていてもおかしくない
・GNUプロジェクトのマニュアルは、独自の(GPLよりは)簡潔な許可
告知で保護されていて、GPLでは保護されていない
・GNUプロジェクトの文書のうちには、文書の性格上、修正を許さ
ないものがある
・GPLは一般的に書かれているので、普通のプログラムにはもちろ
ん、特殊なプログラムや、プログラム以外のworkに適用することが
でき、実際そうされている
・特殊なプログラムにたいして、利用者に便宜をはかるために、特
殊な許可告知を設定するなら、GPLでない何かで保護してもおかし
くはないが、今のところ私はそういう良い実例を知らない
・「コピーレフト」という用語は、GPLやマニュアルの許可告知を
含んだ広い考えをさしている
・GPLはコピーレフトの実装の一つの形態であるが、唯一の形態と
いうわけではなく、LGPLやマニュアルの許可告知もコピーレフトの
実装形態であるし、それ以外の実装もありえる

  最後までお読みいただき大変ありがとうございました。
--
  iida


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