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[debian-users:08943] Re: A reason of why I've been telling the ``TISRNOTW/BLGFASATACOSS''.
- From: "Ken N." <kenn@xxxxxxxxxxxxxxxxx>
- Subject: [debian-users:08943] Re: A reason of why I've been telling the ``TISRNOTW/BLGFASATACOSS''.
- Date: Tue, 13 Oct 1998 01:42:48 +0900
- X-ml-info: If you have a question, send a mail with the body "# help" (without quotes) to the address debian-users-ctl@debian.or.jp
- X-ml-name: debian-users
- X-mlserver: fml [fml 2.1A#45]; post only from members
- Message-id: <199810121548.AAA08262@xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx>
- X-mail-count: 08943
- X-mailer: mnews [version 1.21] 1997-12/23(Tue)
#気が変わりました。私ももう少しレスポンスをよくするようにしな
くては。週末じゃなくて今書きます。
In <199810120558.OAA01782@xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx>
[debian-users:08901] Re: A reason of why I've been telling the ``TISRNOTW/BLGFASATACOSS''., Oct.12 '98 14:59 JST
sano@xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx says:
= 私の書いた「譲歩して無用な摩擦を回避できるなら、譲ったほうが良い」
= という部分について、「今回の件は『譲歩』の名に値しない」という批判
= を書かれた、ということでしょうか ?
少し違います。
引用前後しますが、
= 私としては、「彼」の意見はあくまでも「きっかけ」であって、
= それについて調べていくうちに「私」が感じた疑問について
= この ML で問いかけをするつもりだったのですが、どうもうまく
= そのへんの意図を書けなかったようです。
私は佐野さんのこの意図については理解しているつもりです。ですか
ら、「今回の(彼の)件」に対する批判ではありません。最初の私の
followではその辺まぜてしまったので、これについては私の方でこう
して分けました。
私の方の意図ですが、
= 「譲歩して無用な摩擦を回避できるなら、譲ったほうが良い」
「... そして、そうしたほうがDebianの普及の一助となる」
という佐野さんのお考え自体に対して賛同することができない、とい
うものです。
また、
o 佐野さんはメンテナをめざしておいでであること
o 摩擦に直面しても「譲れない」事がある場合には、論陣を張っ
てこれに対処する(つまり、理論武装する)おつもりなのでは
ないか、という懸念を中垣が抱いたということ
があるので、こんなふうに変化球やら直球やらを投げつけるような真
似をしてしまっています。
#ところで、私はけして「譲歩」「理論武装」といったことばにgrep
な反応をしているつもりはないのですが、これについては既に御理
解頂いているものと考えています。
非常にあらっぽいですが、佐野さんの御意見に対する私の側の見解を
再度まとめてみると、以下の様になります:
1. 「回避可能な摩擦」というものは、はたして存在するだろう
か。否、私は、どのようなものであれ、摩擦は不可避であろ
うと考える。ある摩擦を回避する事は、別の摩擦を直接また
は間接的につくり出す事になるであろう。
2. 譲歩をする場合でも、対立する相手との信頼関係を樹立でき
ることが前提となるはずだ。ここでいう「信頼関係」とは、
相手の価値観「そのもの」についてはこれを相互に尊重する
意志がある、というものである。
2a. 相手側にこちらの価値観を尊重する意志がない場合には、相
手は「譲歩」を求めているのではなく、実は「服従」を求め
ている。
2b. 2aの場合、これを甘受する事は怯懦であり、「普及と発展」
という目的からはかえって遠のく事になると私は考える。
理由:
o コミュニティ内の士気の低下をもたらす恐れがある
o 第三者からはかえって、怯懦な態度に対する不信と
軽侮をかう恐れがある
3. 発展と普及のためには、むしろ、自分たちの側の価値観を常
に直視し、明確な形へと成熟させることに注力するとともに、
これを正しく伝えていくことを考える方が、対立の回避につ
いて考える事よりも、より有意義なことだと私は考える。
. . .
ところで、例のおとぎ話のほうですが、あれは、「どうでもいいよう
なことについて諍いをおこすことに対する風刺」ととられがちです。
うろおぼえですが、リリパットとブレフスキュでは、どちらも同じ宗
教の全く同じ経典を参照し、彼らの行動の規範としているということ
になっていたと思います。そしてその中の一文が、こうです:
「全て信徒は、その便宜に従って卵の端を割ること」
.. おなじ文を参照しているときでさえ、それぞれが妥当と信じる解
釈をしたのちには、不可避な対立が起こってしまう、これはけしてお
とぎの世界だけの話ではないでしょう。
明確に文書化されている情報でも、あいまいさを完全に払拭すること
はできないものです。どうしても読みての解釈に委ねる部分が残って
しまいます。だとすると、佐野さんがなさっているように、正しく参
照する文書を示し、フェアな解釈をするという、完全に妥当と思われ
る姿勢を貫いてすら、対立を避けることができない場合がありえます。
まして、現実には、しばらく前にf.o.lに現れたTrollの用に、無知無
能を恥じもせず、狭量な己をかえりみることもない者までいる事を考
えれば、「無用な摩擦を回避する事」について考える事自体、私には
意味がある事とは思えない、摩擦はさけられまいに... そういう批判
です。
-.- . -. -.
Ken Nakagaki <kenn@xxxxxxxxxxxxxxxxx>
「会社は主にそれ自身の慣性によって前進している」-- Gerry Spence