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[debian-users:08943] Re: A reason of why I've been telling the ``TISRNOTW/BLGFASATACOSS''.



#気が変わりました。私ももう少しレスポンスをよくするようにしな
 くては。週末じゃなくて今書きます。


In <199810120558.OAA01782@xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx>
[debian-users:08901] Re: A reason of why I've been telling the ``TISRNOTW/BLGFASATACOSS''., Oct.12 '98 14:59 JST
sano@xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx says:
=   私の書いた「譲歩して無用な摩擦を回避できるなら、譲ったほうが良い」
=   という部分について、「今回の件は『譲歩』の名に値しない」という批判
=   を書かれた、ということでしょうか ?

少し違います。
引用前後しますが、


=   私としては、「彼」の意見はあくまでも「きっかけ」であって、
=   それについて調べていくうちに「私」が感じた疑問について
=   この ML で問いかけをするつもりだったのですが、どうもうまく
=   そのへんの意図を書けなかったようです。

私は佐野さんのこの意図については理解しているつもりです。ですか
ら、「今回の(彼の)件」に対する批判ではありません。最初の私の
followではその辺まぜてしまったので、これについては私の方でこう
して分けました。

私の方の意図ですが、

=   「譲歩して無用な摩擦を回避できるなら、譲ったほうが良い」

「... そして、そうしたほうがDebianの普及の一助となる」

という佐野さんのお考え自体に対して賛同することができない、とい
うものです。

また、
    o   佐野さんはメンテナをめざしておいでであること
    o   摩擦に直面しても「譲れない」事がある場合には、論陣を張っ
        てこれに対処する(つまり、理論武装する)おつもりなのでは
        ないか、という懸念を中垣が抱いたということ

があるので、こんなふうに変化球やら直球やらを投げつけるような真
似をしてしまっています。


#ところで、私はけして「譲歩」「理論武装」といったことばにgrep
 な反応をしているつもりはないのですが、これについては既に御理
 解頂いているものと考えています。


非常にあらっぽいですが、佐野さんの御意見に対する私の側の見解を
再度まとめてみると、以下の様になります:

    1.  「回避可能な摩擦」というものは、はたして存在するだろう
        か。否、私は、どのようなものであれ、摩擦は不可避であろ
        うと考える。ある摩擦を回避する事は、別の摩擦を直接また
        は間接的につくり出す事になるであろう。

    2.  譲歩をする場合でも、対立する相手との信頼関係を樹立でき
        ることが前提となるはずだ。ここでいう「信頼関係」とは、
        相手の価値観「そのもの」についてはこれを相互に尊重する
        意志がある、というものである。

    2a. 相手側にこちらの価値観を尊重する意志がない場合には、相
        手は「譲歩」を求めているのではなく、実は「服従」を求め
        ている。

    2b. 2aの場合、これを甘受する事は怯懦であり、「普及と発展」
        という目的からはかえって遠のく事になると私は考える。
        理由:
            o   コミュニティ内の士気の低下をもたらす恐れがある
            o   第三者からはかえって、怯懦な態度に対する不信と
                軽侮をかう恐れがある

    3.  発展と普及のためには、むしろ、自分たちの側の価値観を常
        に直視し、明確な形へと成熟させることに注力するとともに、
        これを正しく伝えていくことを考える方が、対立の回避につ
        いて考える事よりも、より有意義なことだと私は考える。


    .   .   .

ところで、例のおとぎ話のほうですが、あれは、「どうでもいいよう
なことについて諍いをおこすことに対する風刺」ととられがちです。

うろおぼえですが、リリパットとブレフスキュでは、どちらも同じ宗
教の全く同じ経典を参照し、彼らの行動の規範としているということ
になっていたと思います。そしてその中の一文が、こうです:

    「全て信徒は、その便宜に従って卵の端を割ること」


.. おなじ文を参照しているときでさえ、それぞれが妥当と信じる解
釈をしたのちには、不可避な対立が起こってしまう、これはけしてお
とぎの世界だけの話ではないでしょう。

明確に文書化されている情報でも、あいまいさを完全に払拭すること
はできないものです。どうしても読みての解釈に委ねる部分が残って
しまいます。だとすると、佐野さんがなさっているように、正しく参
照する文書を示し、フェアな解釈をするという、完全に妥当と思われ
る姿勢を貫いてすら、対立を避けることができない場合がありえます。

まして、現実には、しばらく前にf.o.lに現れたTrollの用に、無知無
能を恥じもせず、狭量な己をかえりみることもない者までいる事を考
えれば、「無用な摩擦を回避する事」について考える事自体、私には
意味がある事とは思えない、摩擦はさけられまいに... そういう批判
です。


 -.- . -. -.
Ken Nakagaki <kenn@xxxxxxxxxxxxxxxxx>
「会社は主にそれ自身の慣性によって前進している」-- Gerry Spence