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[Candiate] TARUISHI Masato



樽石です。

この度 Debian JP Project の理事に立候補致しました。

○ 動機

早いもので Debian JP Project の設立から 4 年が経過し、5 年目を
迎えております。本 Project は「とりあえず Debian GNU/Linux
で日本語環境を」という呼びかけの下に先見的な有志が集まり、Debian で日本語
が利用できるような作業してくださいました。そのかいあってか、私が GNU/Linux
ディストリビューションという物が世の中に存在するという事を知り、そして
それを使い始める頃には既に苦労なく日本語を利用できる所まで仕上げられていました。

当然の事ながら、これだけの成果物がフリーで入手できるようになれば、それを
利用する人は確実に増えていきますし(自分もその一人です)、また人が増えると
、それに伴っていろいろな事を考慮していかなければならないという事を教科書的で
なく初めて実感しました。

Debian JP Project は現在 70 名弱の会員がおり、巨大であるとは言い切れなくも
決して小さな組織であるとは言えなくなってきていると思います。当然、これだけ
の規模の組織になれば、行わなければならない実務作業もたくさんありますし、
実際、そのような作業報告を何度も見てきました。現役員の皆様方にはこの場を
借りてお礼の言葉を申し上げます。Debian JP Project は基本的に「ボランティア精神」
により運営されているにも関わらず、これだけの作業を継続的にこなす姿には敬意を
表さずにはいられません。もちろん役員に限らず Debian JP Project、Debian Project
そしてオープンソースフリーソフトウェアに関わる全ての人々にも同様にお礼の言葉を
申し上げることは言うまでもありません。

さて、そして今回の新役員募集ですが、役員立候補者の方々をお名前を拝見していた
ところ、「いつもとほとんど同じ」顔ぶれに見えました。これではまた彼らに負荷が集中
してしまうのではないだろうかと懸念を抱かずにはいられなくなりました。自分には
何かできることはないだろうか、微力ながら何か Debian JP Project のために
お手伝いしたい、そのような考えが頭をよぎりました。一方で、自分程度に何が
できるのだろうか、逆にあしでまといになるのではないか、と思ったことも事実です。
まもなく本業が忙しくなる可能性があるという心配もあります。立候補がぎりぎりに
なったのはこのためです。

しかし、何もしないよりは何かしたほうがよい。むしろ負荷を少しでも減らせるの
ならそれはそれで大いに意味があることではないかと思うようになりました。
別に役員でなくても、負荷を減らせるよう作業を手伝うことはできるでしょう。しかし、
役員という身に自分を置くことでより積極的に貢献できるのではないかと思っている
ことも事実です。最後まで悩んでいましたが、悩んでたってしょうがない。
「立候補してしまえ、してしまえばなんとかなるだろう」というささやきに立候補
を決断し、ぎりぎりの表明を行いました。

これが今回理事に立候補をした動機(経緯)です。

○ 略歴

現在、電気通信大学大学院情報工学専攻博士前期過程 の 1 年生で、実行時間最適化
を行う言語処理系の研究を行っております。具体的な例としては「コンパイラに
おけるループの並列化、ソフトウェアパイプライニング」等があげられます。

自分のコンピュータ歴の中ではフリーソフトウェアとの関わりが、おそらく一番
長いものと思われます。高校時代にコンピュータ系の部活動に参加していた頃
からソースコードは共有される物であったし、その頃読み始めた某コンピュータ
雑誌はアルゴリズムの説明とそれを実装したソースコードがあることがあたり
前でした。巷にはインターネットとか Win95 とかいう言葉が溢れていましたが
、i286 の茶色がかったおんぼろマシンを数学科の先生の机からうばってくる
くらいしか予算がなかった貧乏文化部には無関係の話でした。日本のフリーソフトウ
ェアで良くある「商用禁止」という物があったような記憶もありますが、そもそも商
用とは縁の遠い場所にいた自分には実感がわいていませんでした。大学に入学して
からは最初コンピュータには導入済の独占ソフトウェアがインストールされていま
したが、何をして良いかよくわからず、まもなく当然のように Linux や FreeBSD と
書いてある本に手が伸び、自分のコンピュータは自然に GNU/Linux に置き換えれてい
きました。気づいたときには、独占ソフトウェアは勝手に姿を消していました。

Debian 自体は 1997 年の秋ごろから使い始め、Debian JP Project には、
1998 年の初夏あたりに参加しました。ちょうどその頃 Tokyo Linux Summit (TLS)
というイベントに Debian JP Project として出展するという話があり、自分も
打合せや本番のイベントに参加させていただきました。それまで、周りの人は
同年代、離れていても数年上の先輩、世代の違う人は先生だけという環境であった
自分が、世代も住んでいる場所も違う人達が一同に会するということを初めて体験
し、ものすごい衝撃を感じたことを今でも覚えています。TLS の終了後
すぐに Debian Project のオフィシャルメンバーに申請、登録をし、
現在に至っております。Debian 的活動ではパッケージ保守を主に、バグを発見
した場合に原因を調べ、パッチを送ったりしたり、AM として新規メンテナと DAM
との代理作業を行ったりしています。

あまり関係ないかもしれませんが、現 Debian Project Leader (DPL) の Wicert
Akkerman 氏、次期 DPL に立候補を表明している Branden Robinson 氏とは直接対面
しています。同立候補者の Bdale Garbee 氏とは IA64 Port の関係で良く(主に IRC
で)議論しています。

○ テクニカルレベル

  日常使う言語は C, C++, Java 等があります。スクリプトとして
  bash, zsh 等から Ruby を使います。Perl はあまり使ったことがなく
  Essential なので頑張って使う程度です。

  研究の関係から実行時間最適化という観点からの言語構文、意味論はそれなり
  に理解している方だと思います。マシン語の知識も同様です。
  
○ リスク

就職活動、修論等で多少(だいぶ?)忙しくなると思われます。議論はあまり
得意ではありません。飽きやすい方です。

○ 実績

 あまり、これと言った実績はありませんが、Debian 的最初の活動としては dpkg-doc-ja の叩
 き台として 3000 強の ja.po を作りました(その後は debian-doc ML の皆様方の成果が
 大きいです)。また Debian Proejct でパッケージ保守を行っています。現在 29 個のソー
 スパッケージと 46 個のバイナリパッケージがあります。Debian JP Project のメンバとして
 は北目拓郎氏(60,101)、やまだあきら氏(31,50)「2001 年 3/25 日現在」についで
 3 番目です。他に AI ムックの Debian 本 2 冊の著者の一人として執筆しました。
 Linux Japan で連載を行っています。SD 誌で稚拙 Linux ドライバの解説を行ったり
 もしました。Linux Confference で発表を行いました。

あまり所信という感じではなく、また簡単ですが、この辺りで立候補表明の言葉と
させて頂きます。

-- 
2001 年 3 月 25 日 Debian JP Project 会員 樽石将人

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